教育哲学会第53回大会報告

 

 教育哲学会第53回大会は、10月16、17の両日、中央大学多摩キャンパスで開催されました。懇親会を除くすべての会場を3号館に設定することができ、また心配された天候の崩れもなく、たいした混乱もなく大会を終えることができました。中央大学はモノレールの開通によって交通の面で東京圏に組み込まれたはずであり、しかもモノレール駅にもっとも近い文学部棟での開催という好条件でしたが、参加された方々は多摩キャンパスへの道のりの遠さを実感されたのではないでしょうか。それにもかかわらず240名を超える参加者がありました。

 本学での教育哲学会大会の開催は20年ぶりでした。前回はちょうど私が赴任した年にあたり、神保博行、長尾十三二先生と準備にあたったことが想い出されます。その2年後に大学院教育学専攻が設置され、今回の開催準備にあたっては鳥光美緒子事務局長のもと、すでに研究者の仲間入りをしている卒業生の力を借りることができたことは、中央大学にとって大きな変化でした。

 この間に教育哲学会もすっかり様変わりしたように思います。分科会の個人発表は25件で、昨年の名古屋大会より大きく数を減らしました。題目からみると、論じられるテーマがきわめて広範囲にわたるという印象を受けました。教育学というディシプリンにおいて、誰もがそこでの論議に参加できるようになるために、私たちはどのようにして議論の共通の核をつくり上げていくのかが課題となるように思いました。

 シンポジウム関連では、大会校企画の研究討議は「言語・知識・道徳:知の教育の可能性を求めて」、理事会企画の課題研究は「教育学的知の『地平』を問う:教育学における『宗教的なるもの』」でした。いずれも、近年国際にも教育に求められるものが大きく変貌していくなかで、そうした動向に対峙しうる教育学のあり方をこの学問の存立根拠にまで遡って問い直そうという点で、問題意識を共有するものであったように思います。教育学的な「知」のあり方を自覚的に問い直すことによって共通の論議の場を再生しようという試みは、学会内部の問題にとどまらないのであって、教育哲学会が多様化する教育学研究に対して積極的に提言していく上でも、引き続いて取り組むべき課題のように思われました。

 懇親会に参加された会員は110名余りでした。名物のお酒や食材の見当たらない愛想のないメニューでしたが、生協は精一杯頑張ってくれたようでした。その生協は日曜昼には食堂を臨時に開いてくれました。懇親会には手伝ってくれた学部学生と院生諸君も出席させていただきました。遠慮なく飲んだり食べたりしている彼らの姿は20年前と重なりましたが、これが中大風なのでしょう。失礼の段はお許しください。

 2日目の午後4時から3つのラウンドテーブルが行なわれました。「心の哲学と『力』の概念」、「公教育の『正当性』論のための基礎研究:近・現代の倫理学・政治哲学諸理論の比較検討」、そして「教員養成課程における教育哲学の位置づけに関する再検討(3)」です。あわせて80名を超える方々が最後まで残られていました。会場の都合で6時には終えていただかねばならなかったので、議論が尽くせなかった思いを抱かれた方も多かったかと思います。帰りの交通の都合で早く帰られなければならなかった方々とともに、たいへん申し訳なく思っています。

 先にも触れましたが個人発表の件数の大幅な落ち込みはたいへん気になりました。ただ全体として会員数が減少するなかで、参加者の会員数に対する割合が4割5分に及んだことは、今後に希望を残すもののように思われます。教育学にとってもっとも根柢的な問い続けることこそが、教育哲学会の存在意義であることをあらためて実感させられた大会でした。

第53回大会準備委員長 森田尚人